この記事はなにか
超かぐや姫を観てきたおっさんによる、どこにでもあるような感想文だ。
ただし、インターネットに落ちている超かぐや姫の感想としては、1つだけ珍しい点が存在している。
それはみんなが大好きなあのセリフ「あなたの物語もそうでしょ?」に対して、真剣に苦しめられたということだ。
このセリフに苦しめられ、そして最後にはこのセリフによって解放された、そこだけに集中させた奇怪な文章である。
そんな奇怪な文章を生み出してしまった理由について、少しずつ語っていこうじゃあな超特殊な視点による超かぐや姫の感想いか……
自己紹介、あるいはスタンスの表明。
長年、自分のことを100%理論派側の人間だと思っている。
ここで言う理論派とは、別に地頭が良かったり、要領がよかったり、常に理性的で落ち着いているという意味ではない。
ざっくりとして、感覚派ではないという意味で使っている。
しかし、感覚派という言葉の定義を明示しない限り、その逆も定義できないのだから、何も言っていないに等しいとも言える。
さて、ここまでの私の文章を読めば、私が言う理論派の意味がふんわりとでも伝わっただろうか?
まあ要は、ちょっと偏屈な上に、ちゃんと説明ができないことを是としていないのだ、私は。
言語化できない、つまりは自分の中でその事象を定義・説明できないということは、理解していないのと一緒である、くらいのことを平然と言ってのける。
世間一般では、理論派という言葉に、なんとなく頭が良いというイメージが含まれていると思う。しかし私はむしろ、特に要領が悪いからこそ、逐一全てを言語化している。
仕事でも趣味でも日常生活でも、感じたことは全ていちいち言葉にしている。それは私の日常の一部だ。
一度言語化しておけば、そこまで考えた工程をすっ飛ばせるため、地頭が悪い自分でも生きやすい。
もはや言語化、一般化、解釈を生業として生きているようなものだ。
これではさすがに、自認を感覚派とするのは無理があるだろう。
世の中が感覚派と理論派の2つに分けられるとしたら、100%感覚派ではない私は、100%理論派ということになる。
さて、そういう意味で100%理論派である私が、この作品の本当のエンドロールが流れ始めたときに呟いたのは、このような言葉だった。
「え、で、これは結局どういうことなん?」
爆弾発言魔、かぐや。
100%理論派である私は、言語化できないことを好まない。
しかしながら、地頭が良いわけでも頭の回転が速いわけでもないので、すぐに結論は出せない。そのため、ただただはてなマークが頭上に溜まっていく。
エンドロールはただの白黒の模様に見えているし、思考の全てが直前に聞いたセリフで埋め尽くされていた。
ねえねえ!このお話、ハッピーエンドだと思う?
この後すぐケンカ別れしたりしてぇ……
まだまだ分かんないよね!
あなたの物語もそうでしょ?
ひとまず!このお話はここでおしまいね。
何を言うとるんやお前は!!!!
このセリフ、インターネットではかなり肯定的な意見が多く、めちゃくちゃ困惑した。今もTwitterで検索して困惑している。
まあそれは、公開から2か月以上経って、熱心なファンによる投稿しか上の方に上がってこない、という可能性もある。しかし、それなりに遡っても否定的な意見を見つけることができなかった。
一旦事実について整理をしよう。
このお話は竹取物語を元ネタとしており、そのあらすじはこうだ。
今は昔、光っている竹を翁が見つけて、切ってみたら子どもが出てきた。
保護して育てたらめちゃ急に大きくなって、なんかしらんけど翁も儲かってハッピー、やったな翁。
感謝感激雨アラモードの翁は、もう人間換算したらええ歳なんやろうし、結婚したほうがええんちゃうかと思い、親戚のおっちゃんに相談してみることにする。
そして婿を選ぶことになってんけど、そこでかぐや姫が無理難題を言い出して困惑。何が起きてるんやこれ。
それで話を聞いてみたら、なんか月に帰らなあかんらしいとか言い出してもう涙目。そんなん聞いてへんけど。
結構な人数を使って月人からの襲来に備えててんけど、月人が強すぎるし全く歯が立たないんやわ。勘弁してくれ。
結局月人を抑えることはできず、姫は連れ去られて、地球は悲しみに包まれました。ちゃんちゃん。
この作品もだいたいこの流れに沿って進行される。
こうやって書き出してみると、少し寄り道をしたり追加要素モリモリになっているが、大筋は全くこのままだと再認識させられる。
すごいな、1000年以上経ってもまだ面白い。
このプロットを最初に書いた人物は神なのかもしれない。
さて、大筋は全くこのままなのだが、超かぐや姫においては、竹取物語とは決定的に違う部分が存在している。
バッドエンドやだやだぁ〜〜〜
ハッピーなのがいい〜〜〜〜〜
これだ。
この作品は序盤で、ハッピーエンドを目指すとかぐやが宣言しており、それなりの頻度でかぐやがハッピーエンドについて言及する。
さて、私の頭上にはてなマークを作り出したセリフを言ったのは、誰だったかな……???
かぐや、お前じゃーーーい!!!!
いやいや、お前、え?
最初から最後までずっと、ハッピーエンドを目指してやってきたじゃないか、そうだろ? それなのに急にお前、え?どういうこと。
かぐやさん。それ一番君が言っちゃいけないセリフなんじゃないの?
言いたいことは分かるよ、うん。
言っちゃいけないとかもないのは分かる、分かるよ。
でもそれ、ガチで今言わなきゃいけない?ねえ、マジで。いやあの、はい?
君はそれでいいの?本当に?
分かるよ、君気分屋だもんね。素直な言葉なんだろう。
俺も結局未来はどうなるか分かんないしなぁ、なんて普段から言うし。
でもさ、この作品終わりそうだよ???完全に終わりそうな雰囲気醸し出してるよ???
しかもかぐやさん、あなたが醸し出してるんだよ????
本当にエンドロール流れてきて終わったんですけど?!?!?
待ってくれ勝手に終わるな、「あなたの物語もそうでしょ?」ってどういうことやねんマジで。
俺はこの2時間を超えてずっと、酒寄彩葉とかぐやの物語を観てきてんねん。
俺の話は関係ないやろ今。急に現実の話をされても困んねん。
ここまでの没入感はどこに行ったんマジで。え?なんでそういうことするの?
なんか論点を外して説明をされたような気分なんだけど、どういうこと?
いや違うねんまだ待って、「ひとまず!このお話はここでおしまいね。」ってマジでどういうことなんほんまに。
今までめちゃくちゃ全速力で、全身全霊でハッピーエンドに固執してたやん。ヤッチョは8000年も経って諦めてしまったけど、彩葉がその後叶えてくれたやん。
で、最後急に「ひとまずここでおしまい」ってお前……え?なにそのとりあえず終わりました、ちゃんちゃん。みたいな適当な感じ。
なんか急に梯子を外されてる感じがするねんけど?????
どういうことなん?!?!?!?!?
私が偏屈だからこういう感想になるのは理解している。
たぶん、ここで受け取ってほしいメッセージって、そういうことじゃないんだろう。
セリフの言い方だって、明るい感じに喋ってるしな。
しかしながら、筋が通ってるかどうかを重視して親に育てられ、メンツを重視するようなJTCで揉まれているうちに、「立場とそれに合った発言」に敏感な生き物に成り下がった私にとって、そこは絶対に気になってしまうポイントだった。
めっちゃ嫌な上司みたいな発言なんだと思う。
うげー、超嫌なやつじゃん、ぼく。
今でこそ、このセリフの「おかしい〜〜!!!おかしいって!!!」という点を言葉にして述べているが、エンドロール最中のぼくは、そこまで解像度が高くなかった。
高くはないのだが、いやいやいや、なんでかぐやがそういうこと言うの、しかも「あなたの物語もそうでしょ?」ってなに??今関係ないやん!!!
え……それって途中ってこと???最後まで見せろよ!!!!もしかしてかぐやちゃん可愛い〜とか、ライブの良さとかを主として楽しむ作品やったんか???俺が間違ってる?だからみんな映画館に行って絶賛してる???どういうこと????
と、モヤモヤとした思考が渦巻いていて、理論派のぼくにとっては、かなり不快な状況だったのである。
「え、で、結局どういうことなん?」という感想は、最後の最後に全てを無茶苦茶にされた、半ば半狂乱状態の感想だったのだ。
ハッピーエンドのその先へ
さて、ここまで思いつくままボロクソに言ってきたのだが、私は超かぐや姫という作品がかなり好きだ。
2026年下半期次第ではあるが、今年で一番の作品と言っても差し支えないだろうし、円盤は特装限定版を予約している。彩葉が歌っているReplyを聴けるのが待ち遠しい。
コラボカフェのチケットは、NICTの標準時を表示しながらKASSENに挑む気合の入れようだった。残念ながら取れなかったが……
オタクくん手のひらクルクルすぎなーい?とも言われるような芯のない行動に思われるだろうが、全然そんなことはない。
これはすべて、エンドロールが終わった後に流れていた追加映像である、rayのMVのおかげである。
え……途中ってこと????最後まで見せろよ!!!という私の叫びが、なんと本当に届いたのだ。
ズルじゃん……って思ったね。
観ている最中は「してやられた!!!!!」と叫んでいた。
してやられたなんて日本語、人生で一度も言ったことなかったんじゃないかな。
一度わけわかんない気持ちにさせておいて、ごめんやっぱりちゃんと説明するわ!!!ってこちら側の気持ちを揺さぶってくる。
オタクってコロコロ手のひらの上で遊ばれるの好きだよね?って言われている気分だ。
大好きだよ、ちくしょうめ。
しかもその説明が、ただ説明しているだけじゃないのも、とっても憎いポイントだ。
「いや〜〜〜 実はこういうことがありまして、こういう理由で、こうじゃないとね、やっぱりね、全員ハッピーエンドにならなかったんですよね。いやね、すんません。あと色々こういうエピソードも追加して、本編の補完とさせてもらいますね、ほな。」
なんかまた爆弾落としてきたな、こいつら。
爆心地のど真ん中にいた私だが、かぐやが落としてきた時とは打って変わり、今度はかなり爽快な気持ちだった。
私にとって良い作品かどうかというのは、観終わった後の読後感で決まる節がある。この読後感は100点、花丸をつけてあげよう。
ガイドブックにつけられた副題、ハッピーエンドのその先へ はrayのMVにつけるべきものだったのでは?とも感じる。
それにしても視聴時の私のツイートは、後から見てみるとほんとコロコロに転がされていておもしろいな……ぜひ後世にまで残しておきたい。

あとがき
さて、私にとって超かぐや姫の神髄は、エンドロール前のセリフとrayのMVの、感情の落差ということになる。
しかし教授、なんとこのMVは劇場公開前、Netflixの配信だけだった時には公開されていなかったらしいですが?
本当ですか?
そのMVがない状態でもかなり盛り上がっていたので、世間との乖離をだいぶ感じる。そもそもあのセリフに心を悪い方向に乱されたのは、今のTwitterだと全然見つけられないし。*1
でも私にとっては、あのセリフで心を乱されなければ、感情の落差も発生していないし、この作品をここまで好きにならなかったと思う。
世間とは全く異なる感想を持っているのに、世間と同じ感情を持っている、ちょっと不思議な気分だ。
タイミングも本当にあぶなかったと思う。
映画を観終わって数日後、しばらく経ってからあのMVを見ても、一度感情がフラットになってしまっているだろうから、ここまでの感動は得られなかっただろう。
タイミングだけじゃない、内容もそうだった。
インターネットに落ちてる超かぐや姫の感想では、前半が退屈 みたいなのも結構見受けられてて、分かってしまう自分もいるからだ。
本当にスレスレでここまで辿りついている。
魅力がたくさんある作品だけども、それに気づく状態に持っていくには最後まで観る必要がある気もする。最初からこの作品の全てを受け止められるようにできていない。
どうしても初見では、それなりに面白いコメディ作品を、ちょっとずつ途切れ途切れに見せられている、そういう気分だ。コメディって自分のツボにハマらなかったら終わりだからな。そこで脱落する。作画オタクはずっと見れただろうけど。
コンテンツが飽和していて、劇物的なドーパミン中毒者が大量にいる時代だ。2時間を超える作品なのに、2回視聴を前提としたようなコンテンツは、切られても不思議じゃない。
私もこの作品は2回に分けて観ている。「まあ……後で見ればいいか」と思って、1回視聴を止めた。観るのを止めることができるくらいには、そこまで入り込んではいなかった。
だから下手をすればそのまま1か月経って、Netflixの契約が切れて結局観ない……なんてことも有り得たわけだ。怖すぎるだろ。
最後までこの作品を見れたのは、ひとえに冒頭の彩葉がRememberを聴いて泣きそうになっていたからだ。
数か月前、親族に不幸があった直後くらいに、人生で初めて音楽を聴いてボロ泣きしてしまう、と言う経験があった。ボロ泣きしていた当初は「まだ感受性って高められるんだな。感受性元年か〜〜〜???」くらいの感じで受け止めていたんだけど、今となってはわかる。
音楽を聴いてボロボロに泣いちゃう人は確実に精神が不安定です、みんなも見かけたらそっと見守ってあげてね。*2
だからなんとなく彩葉のことが気になって、最後まで観る気になっていた。
本当にただそれだけ。
少なくともこの超かぐや姫については、楽しい方に歩いてこれて本当によかったなぁ……
蛇足:新約竹取物語
作品にあやかって蛇足な話でもしますか。
ここまで私はかなりの文字数を使って、エンドロール直前からrayのMVまでの15分間の話をずっとしてきた。
しかしよく考えてみると、これは超かぐや姫を5回以上観て、さらには10時間以上「超かぐや姫を観た俺の感想って結局なんなんだ……なんでrayのMVだけでそんなに評価が変わるんだ?」と自問自答してようやく出力された言葉だ。あのセリフのどこにモヤモヤしていたのかも、rayのMVを観て爽快な気分になった理由も、視聴中にここまで綺麗に言語化できていたわけではない。
一応断っておくが、だからと言ってここに書いたものが、全て後付けの嘘というわけでもない。
視聴中から言語化するまでの間に残っている純粋な感情と、輪郭のないモヤモヤとした思考だけがそこにあり、それらが綺麗に結びつくための理由を真剣に何時間も考える。そういう事をして出力された言葉だ。
言葉にしてしまうことで、そこにあった純粋なものとは少しズレてしまうのかもしれないが、感情と思考が綺麗に結びつく理由なんてそう幾つも存在していないだろう。
よって、ここにあるものはほとんど私が感じていたものと、同じものであると言っていいはずである。
話を戻そう、視聴中にここまで綺麗に言語化できていない状態でも、私はこのエンドロール前のセリフにモヤモヤし、rayのMVを観て爽快な気持ちになった。そしてうまく理解しきれないままでも、感情の起伏だけで、この作品のことが好きになっている。
そうであれば、物語における真の価値は結局、人の心をどれだけ動かすことができるか、に尽きるのではないかと思う。
現代において、竹取物語はあまりにも古すぎる。
何が古いかというと、言い回しだったり、言葉遣いだったり、所作の表現が古すぎて、昔の人が感じ取れたものを現代人は受け取ることができない。
古典を読むときに、背景知識なんてものを勉強させられた記憶もあるが、そこまでしなければお話を理解するのも難しいまでに、時代が進んでしまった。
そしてどうしても現代人は、昔話を聞くときには恐らく、昔話を聞いているというフィルターがかかってしまう。
目新しさというものも、人々の感情を動かす重要なファクターの1つだろう。どうしても見慣れた様な話はつまらなく聞こえがちだし、昔話というジャンルはその頂点にあるとも言える。
だから1000年以上前の環境に比べて、2026年は竹取物語を原文で、あるいは現代語訳を読んだとしても、真の価値を100%受け取ることができない状況にあるということだ。
きっと現代ほどたくさんの物語がなかっただろう1000年前にとって、竹取物語は新しい物語だっただろうから、読んだ人々は「ヴェー、おもろー!」と思っていた可能性は十分にある。
さて、ここで竹取物語の成立について、確認しておこう。
一般に竹取物語は、平安時代に完成されたといわれており、複数の伝承を組み合わせて作られたと言われている。
そして成立後の伝承も様々なものになっている。
今昔物語に載っていたり、地域によって内容が少し違っていたり、中国に伝わった説もあるらしい、大ベストセラーじゃないか。
あと、富士市に伝わっている話は、かぐや姫が富士山頂に帰っていく話らしいぞ、ラストまで変えちまったのかよ。
そう、竹取物語は入口も出口もあいまいであり、共通しているのは大まかなあらすじだけなのである。
それならば、超かぐや姫だって竹取物語、ないしはかぐや姫に関する既存の物語群の仲間に入れてあげてもいいんじゃないの?と個人的に思えてしまう。
横暴な話だということは重々承知している。
しかし、物語の真の価値を人の心をどれだけ動かすことができるのか、という1点のみに集中するのであれば、2026年において、成立直後の竹取物語に一番近いのは超かぐや姫ではないだろうか。
朝4時にこんな与太話を真剣に考えてしまうくらい、この作品が魅力的であるのは間違いない。
それにきっと、1000年前も誰かが竹取物語を読んで夜明けまで感想を長々と考えていたりとか、そんなことがあったんじゃないかな〜って、俺は思うんだよな。